日蓮宗に属する本法寺は、妙栄山と号します。本法寺は、文禄4年(1595)寿明院日慶上人が神田に土地を拝領して創建、慶安2年(1649)上野谷中へ、元禄2年(1689)当地へ移転したといいます。
狩野元信は室町時代の画家です。文明8年(1476)、狩野派の始祖狩野正信の長男として京都に生まれました。のちに将軍義晴の命により剃髪して法眼となり、永仙と号しました。父の跡を継いで室町時代の御用絵師となり、狩野派発展の基礎を確立しました。元信は父の画風を受け継ぎながら漢画の既成諸様式を修め整理融合し、大和絵の手法を加えて装飾性豊かな障壁画の様式を大成しました。代表作には大徳寺大仙院客殿襖絵や妙心寺霊雲院旧方丈襖絵などがあります。永禄2年(1559)10月16日、84歳で没しました。この墓は昭和30年10月狩野文氏によって再建されたものです。(墨田区教育委員会)
肥前の国唐津出身・江戸時代の将棋指しで将棋家元家の一つ初代伊藤宗看の下で将棋の技を身につけた後、伊藤家二代当主を引き継ぎ五世名人となりました。享保8年(1723年)没。法名は金龍院宗印日歩。震災戦災の被災に遭い当山との縁の仔細は文献はなく檀家としてのみ残っています。
京都府宇治市出身・芸名林長丸・林長二郎・長谷川一夫と名前を変えて戦前から戦後にかけて時代劇スターとして、映画・歌舞伎・テレビドラマで活躍しました。熱心な日連宗信者である映画製作会社大映永田雅一社長製作の日蓮と北条幕府を中心に描いた「日蓮と蒙古大襲来」に主演。自らも身延山へ幾度となく参詣されている熱心な日連宗の信者です。現墓所は長谷川稀世が建立しました。